神社由緒

胡子神社の御祭神は蛭子(ひるこ)神・事代主神・大江広元公(毛利家の始祖)の三柱が三位一体となったえびす神としてお祀りされ、商いを営む人だけでなく、福の神として多くの人々に崇敬されております。

胡子神社は、慶長八年(一六〇三)町の年寄役銭屋又兵衛と大年寄松屋太郎右衛門が、町内繁栄の為に、吉田の胡堂に祀られていたえびす神を現在の地に勧請したのが創始といわれ、それによって胡町の町名が生まれました。創始については色んな異説が残っておりますが、胡子神社の起源が吉田にあるのは間違いありません。

えびす神が鎮座して以来、胡町と東引御堂町に、月四日づつ、併せて月に八日の市が立つようになり、この辺は「市の町」と呼ばれるようになりました。更に女歌舞伎清七一座の芝居小屋も出来、胡子祭が沢山の人を集め、浅野の治世になると厳島神社(住吉さん)祭礼・白島の清正公・尾長の東照宮祭・広瀬明神・白神社の氏神祭とならび広島の主要祭事となり、門前町の胡町は殷賑をきわめました。   

毎年十一月十八日(神社では十七日)から二十日まで胡子神社の祭礼が執り行われます。一般にはえびす講と呼ばれることが多いようですが、胡子大祭が正式な祭の呼名であり、広島三大祭の一つとされ、三十万人近くの人手で賑わいます。明治三十四年には胡子神社鎮座三百年祭が行われ、その時からこまざらえ(熊手)が売り出されました。昭和二十年八月六日、広島は原子爆弾により焦土と化し、胡子神社も全てが烏有に帰す事となりましたが、昭和二十年十一月二十日原爆被災後わずか二ヶ月足らずで、バラックの仮社殿を建て祭典を行ないました。原爆にも負けず四百年以上、胡子大祭を守り続けてきた事、これは広島胡子神社の誇りです。

神社は戦後二度の社殿の建替えを経て今の形になりましたが、社殿は変われど、福の神えべっさんはいつも変わらぬ笑顔で皆様を見守っています。「笑う門には福来たる」という言葉があるように、辛い事があってもくじけずに、毎日を清く明るく過ごしていくことが幸福への第一歩です。何事も前向きに頑張りましょう。日々の繁栄・幸せは笑顔と共に。

 

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 昭和21年(1946年)
被爆翌年、バラック小屋の仮社殿と故尼子清松氏(当時の総代・胡町復興連盟理事長)
 昭和32年(1957年当時)
中央大通りから胡町通りにかけての胡子大祭の装飾
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 最近の胡子大祭の様子  現在の胡子神社社殿